家族離散

湯浅です、

本日のテーマは

かならず這い上がれる。

です。

私はこれまで幾度か挫折や辛い思いを味わっています。

例えば、

小さなというか今となっては可愛らしい辛い思い出ですが

小学校1年生の入学当日にクラスで

自分の名前を大きな声でいうことになり

そこで、「ゆあさ ももたろうです。」というと

クラスの中でどよめきというか笑いがおき

顔を真っ赤にした私は、その日の夕方に

父や母に目に涙を溜めながら、名前を変えてと訴えていました。

 

また、高校生時代は

メガネをかけて小太りの外見に加えて、

いわゆるガリ勉くんだったので

当然、クラスの女子には相手にされず

友人も他のクラスの似たような境遇の男子2〜3人と

休み時間に廊下で集まっていた具合でした。

そして、お昼休みのお弁当の時間は

通常だと仲の良いグループで机を移動してくっつけて
一緒にお弁当を食べるのですが

私は、机を一切動かすことなく、一人でお弁当箱と
向き合いながら食べていました。

 

そして、大人になってからでは一番大きい出来事は
2011年に生まれた次男坊が病気を持って生まれてきたときです。

最初に病院から連絡があり、

病院の駐車場の車に妻を残して、私一人で
先生の元にむかいました。

先生からの説明を受けた時は
現実を直視することが頭の中でできず
まるで他人の事を聞いているような感覚になりました。

そして、病院から駐車場へ向かう途中

携帯で病気のことを調べながら

なんで俺らがこんな目にあうんだ

一体何をしたっていうんだ

となんとも言えない怒りや悲しみが押し寄せていました。

そして、妻にこのことをどのように話せば良いのか

私は隠し通すことも難しいと思い

正直に病気のことを告げました。

それからおよそ1年間はここでは

語り尽くせない程、大変な家庭状況でした。

家族離散の危機はなんども、なんどもありました。

 

そのような幾たびの挫折や辛い思いを経験した上で

今現在言えるのは

 

それでも人生は面白いということです。

人生を生きるのが好きなんです。

 

明石家さんまさんか誰かが言いました

「生きていれば丸儲け」

 

本当にそうだと思います。

諦めなければ、必ず這い上がれるんです。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

湯浅 桃太郎

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